コンピュータで切り拓く未来の化学

大阪市立科学館からのご依頼で、「月刊うちゅう」2024年2月号(第479号)に記事を執筆しました。小学校高学年〜中学生の子どもたちに向けて、コンピュータ化学の魅力を紹介してみたいと思って書きました。発行元の大阪市立科学館から転載の許可をいただけたので、こちらにもシェアしてみますね。

みなさん、こんにちは。私は、大学で化学を教えている先生、化学を研究している研究者です。

「化学」というと、白衣を着ていて、実験室でいろいろな薬品を混ぜたりすることをイメージするかもしれません。私が研究しているのは、そんなイメージの化学とはちょっと違った、コンピュータを使った化学。この新しい化学のことを「コンピュータ化学」とよびます。

最近、薬品を混ぜたり装置を使って測定するだけではなく、コンピュータ化学を上手に活用しながら研究や開発を進めることが多くなりました。目には見えない小さな世界で活躍する分子たちのふるまいも、コンピュータの中で再現することで、分子同士が反応する様子などをディスプレイで眺めることもできるんです。

コンピュータ化学は、新しい性質の材料をつくりたいときや、病気を治すための新しい薬をつくりたいときなど、研究や開発のさまざまな場面で役に立っています。さらにコンピュータ化学は、人工知能や量子コンピュータといった最先端の技術と組み合わせることで、これから、もっと多くの可能性を切り拓くことが期待される分野。今回は、コンピュータを使った化学の面白さについて、わかりやすくご紹介します。 

目次

宇宙のナゾを解き明かすコンピュータ化学

まずは、この小冊子「うちゅう」を読んでいる皆さんなら心がときめくかなと思う、「分子」と「宇宙」の深いつながりについて。

最近、日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」から地球へと持ち帰ったサンプルの中から、さまざまな分子が発見されたことは大きなニュースになりましたね。サンプルには、単純で小さな分子だけではなく、複雑で大きな分子も含まれていました。

なんと、私たちの体の中にある重要な分子もいくつか見つかっています。たとえば、遺伝に必要なRNA(リボ核酸)をつくる核酸塩基や、生命活動に必要なタンパク質をつくるアミノ酸など。えっ、宇宙にも、私たちの体の中にある分子と同じものがあったの?

小惑星リュウグウは、太陽系が生まれたばかりの状態を保っている可能性が高いそうです。はやぶさ2によって私たちに届けられた分子たちは、地球に暮らしている生命の始まりについて、重要な手がかりを伝えてくれるかもしれません。このように宇宙に漂っている分子たちは、どうやって生まれているのでしょうか?

宇宙には「星間分子」とよばれる、とても興味深い分子たちが存在しています。これらの分子が見つかるのは、星間分子雲という、分子が多く集まっていて、新しい星や惑星が生まれる領域。星間分子は、宇宙がこれまでにたどってきた歴史や、生命の起源について、重要なヒントを与えてくれるものと期待されます。

科学者は地球から遠く離れた場所にある星間分子を見つけるために、「電波望遠鏡」という装置を使っています。電波望遠鏡は、宇宙からの電波をキャッチする大きな耳のようなもの。星間分子は決まった種類の電波を出すので、地球上、あるいは宇宙空間でその電波をキャッチすることで、それらがどこにあったのか、どのような種類の分子なのかがわかるんです。

星間分子が放つ電波は弱いので、それをキャッチするのはすごく大変。南米チリの標高 5,000 メートルの高地には、アルマ望遠鏡という、たくさんの望遠鏡(パラボラアンテナ)を直径 16 キロメートルという広さ(山手線の直径距離と同じくらい!)に並べて作った超巨大な電波望遠鏡があります。

その望遠鏡としての性能は、人間の視力にたとえると、大阪に落ちている1円玉の大きさが東京から見分けられるくらい!アルマ望遠鏡は、130億光年以上も遠くにある天体が放った電波をキャッチすることにも成功しているそうですよ。

宇宙からの電波を無事にキャッチできたら、次は、それがどのような種類の分子から来たのかを分析します。これは、私たちの手にある「指紋」を調べるようなもの。人の指紋がそれぞれ違うように、分子の形や性質の違いを「スペクトル」という固有のパターンから読み取れます。スペクトルを分析することで、キャッチした電波がどのような種類の分子から届けられたものなのかがわかるんです。

電波望遠鏡などを使って発見されたさまざまな星間分子の中には、変わった形や性質を持つものがあるとわかってきました。たとえば、地球ではあまり見かけない重水素(ふつうの水素に中性子がくっついて少し重くなったもの)を持つ分子や、普通なら存在するはずの原子が欠けてしまっているような分子など。これらの分子は、みなさんが学校で勉強している化学の教科書に書かれているものとは違うので、「そんな形の分子はないよ!」と思うかもしれないですね。

宇宙空間はとても低温で、分子同士が出会って反応する確率も低いので、地球上では不安定ですぐに壊れてしまうような分子でも、宇宙では長い時間を生き延びる可能性があります。

不安定で短い間しか存在できない星間分子たちのふるまいを、地球上にある実験室でじっくりと観察するのは大変。コンピュータの中では、宇宙空間を再現することも簡単にできるので、星間分子の性質や反応について、くわしく調べられるんです。

たとえば、タンパク質のもととなるアミノ酸など、私たちの体の中にある分子が宇宙空間でつくられる可能性をコンピュータの中でシミュレーション(=数学モデルを使って再現)。単純な分子から生命をつくるための複雑な分子ができるまでのいろいろな可能性について、じっくりと検証することもできます。コンピュータ化学は、星々の歴史や生命の誕生など、宇宙のナゾを解き明かすのに欠かせないツールです。

薬の開発にも役立つコンピュータ化学

コンピュータ化学は、私たちが病気のときに頼りにするさまざまな「薬」をつくるためにも役に立っています。

薬をつくるときには、病気を引き起こす原因や症状のもとになっているターゲット、たとえば、異常な働きをしているタンパク質やウイルスが増えるのに関わっている部分を探すことからはじめます。ターゲットに効果的に作用して、その働きを適切にコントロールするための分子が見つかれば、それが「薬」。

薬とターゲットの関係は「カギ」と「カギ穴」のようなもの。ターゲットとなるタンパク質には「ポケット」とよばれる、小さな「穴」の部分があります。薬は、そのポケットにピッタリと合う「カギ」。薬がターゲットとなるタンパク質のポケットにバッチリはまると、そのタンパク質の働きがうまくコントロールされて、病気を治したり、症状を楽にしたりする効果が現れます。

薬となるかもしれない分子は、考えられるものをすべて数え上げると、10の60乗(ゼロの数が60個!)くらいあるといわれています。全宇宙にある恒星の数は、いろいろな仮説があるようだけど、多くても10の26乗くらい。薬の候補となる分子は、宇宙の星の数よりも多い。

調べやすいのは、手に入りやすいもの、作り方が分かっているものに限られるので、実際に薬の候補となるのは数十万〜数百万種くらい。それでも、すごい数ですよね。薬の候補を探し出す大変さは、「海の中から探し物を見つけるようなもの」だといわれています。

候補となる分子がたくさんあるので、ひとつひとつをターゲットに作用させながら効果を調べるのは、とっても大変。でもコンピュータ化学を使うと、さまざまな薬の候補をコンピュータの中で試して、どれが最も効果的なのかを素早く予測できます。

具体的には、はじめに、ある病気のターゲットとなるタンパク質のポケットの形や性質をコンピュータで分析。次に、候補となるさまざまな分子について、ターゲットにくっつけるシミュレーションをコンピュータの中で何度も繰り返すことで、ターゲットのポケットにピッタリとはまる分子を探します。

インフルエンザウイルスに感染したとき、リレンザ(ザナミビル)というお薬をもらったことがありませんか。リレンザは、インフルエンザウイルスが持っている「ノイラミニダーゼ」というタンパク質をターゲットにした治療薬。ノイラミニダーゼは、ウイルスが人間の細胞に感染し、体の中で増えるのを助けています。

リレンザの開発では、科学者たちはノイラミニダーゼをターゲットとして、コンピュータ化学のシミュレーションに取り組むことで、ウイルスが増えるのを防ぐための分子を見つけることに成功しました。コンピュータ化学のおかげで、薬の開発が、早くて効率的になったのです。

リレンザは、インフルエンザにかかってしまったときに飲んだことがある人も多いかと思います。この薬は「ディスクヘラー」とよばれる専用の容器に入っていて、息を吐いてから一気に「スー」っと吸い込みます。リレンザを飲んだことがある人は、大変だったなーという思い出もあるのでは。

リレンザは、体に吸収されにくい性質を持つ分子。他のお薬のように、水と一緒に口から飲んでも、うまく体に吸収されないんです。だからリレンザは、吸引式の薬として開発されました。体内に吸収されなくても、ウイルスが増えている気管にリレンザを直接届けちゃいます。だけど吸引式のお薬って、飲みにくいですよね。

インフルエンザウイルスの薬には、リレンザのほかに、タミフル(オセルタミビル)があります。タミフルはリレンザとは違って、水と一緒に飲めるお薬。リレンザとタミフルは、実は、ノイラミニダーゼにくっついて働きを抑えるのは同じだけど、飲み方はまったく違う。なぜだと思いますか?タミフルは、リレンザをもとにして分子の一部を変えて、体の中での吸収性が良くなっているので、飲み薬でも大丈夫なんです。

薬が体内でどのように吸収・分布・代謝・排泄されるかを上手にコントロールすることも、薬をつくるときには大切。コンピュータ化学を使うと、体内での薬のふるまいも予測できます。コンピュータ化学は、安全で効果的な薬を開発するために、重要な役割を果たしています。 

コンピュータ化学の仕組み

最後に、コンピュータ化学の仕組みについても、少しだけ説明してみますね。

分子たちが活躍するミクロの世界は、私たちの日常とはまったく違う不思議なルールが支配しています。たとえば私たちの日常では、目の前のテーブルにリンゴがあれば、手に取って重さを確かめることもできるし、ガブッとかじって味わうこともできますよね。ミクロの世界になると、原子や分子は「たぶんここにある」という考え方でしか捉えられません。

ミクロの世界では、離れた場所にある二つの粒子が、まるで糸でつながれているかのように、一方が変わるともう一方も同時に変わる「量子もつれ」という現象も起こるんです。未来のコンピュータとして期待される量子コンピュータは、量子もつれを利用しています。

このようなミクロの世界の不思議なルールについて教えてくれるのが、量子力学という理論。コンピュータ化学では、量子力学に基づくシュレディンガー方程式や、原子や分子の動きを表すニュートン方程式などの数学的なモデルを「コンピュータの中」で解くことで、分子のふるまいを明らかにします。

私たち人間が紙と鉛筆だけを使ってこれらの方程式を解こうとすると、ものすごく時間がかかってしまうし、ときどき計算をまちがってしまうかも。コンピュータだったら、これらの方程式を高速に、ミスなく計算できちゃいます。

それじゃあ、どんな分子でもコンピュータで分析しちゃえばいいじゃん!と思いますよね。残念ながら、コンピュータはそんなに万能でもないんです。タンパク質のような大きな分子や、たくさんの分子が複雑に反応している現象などを分析しようとすると、世界で一番速いコンピュータを使っても、一週間以上、場合によっては一ヶ月くらいかかってしまうこともあります。このような難しさがあるときこそ、コンピュータ化学者の腕の見せどころ。

リアルな現象をコンピュータの中で上手に再現するために、大きな分子を小さな部分の集まりとして扱う方法を考えたり、複雑に見える現象に隠された分子のふるまいを捉える理論を作ったり。なかなか解決しなくて、失敗をくりかえしながら、何度もチャレンジすることも。

大変なこともあるけれど、実験ではわからなかった分子たちの生き生きとした姿をコンピュータの中で「見る」ことができたときには、自然の巧みさや美しさに感動することもあります。 

未来を切り拓くコンピュータ化学

最近、人工知能や量子コンピュータという技術が注目されています。ニュースなどで聞いた人がいるかも。このような新しい技術が、コンピュータ化学の分野を大きく発展させようとしています。

人工知能とコンピュータ化学を組み合わせると、大量のデータを学習したコンピュータが、分子の形や性質を高速に予測したり、人間が思いつかないような新しい分子を提案することも可能に。量子コンピュータとコンピュータ化学を組み合わせると、分子の反応を高い精度で予測することが、これまでのコンピュータと比べてはるかに短い時間でできると期待されています。

とは言え、量子コンピュータはまだまだ開発の途中。いますぐに誰もが使えるというわけではないんだけれど、これを読んでいるみなさんの中には、将来、完成した量子コンピュータを使って研究や開発に取り組むひとがいるかもですね。

みなさんが将来、環境問題を解決するための新しい素材を開発するとき、困難な病気を治すための薬を研究するとき、コンピュータ化学が大きな助けになるはず。みなさんはコンピュータ化学を使って、どんなことにチャレンジしてみたいですか?

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この記事を書いた人

千葉工業大学 応用化学科 教授。専門はコンピュータ化学、コンピュータを使って分子を解析しています。化学の学びを身近にすることにも興味を持っています。

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