千葉工業大学 / 応用化学科 / 山本研究室
計算化学で生命・物質・環境・教育の問題解決
投稿:22-05-28 / 更新:22-05-29

凝集誘起発光における非断熱遷移ダイナミクスの本質を捉える

ヤマラボの光化学チームでは、凝集することで発光が誘起されるという新しい光機能性材料について、理論的に詳しく調べています。

研究の概要

近年、単体では発光しないけれど、分子同士が多数凝集すると強く発光するという興味深い特性を持つ新しいタイプの蛍光色素が注目されています。この現象は凝集誘起発光(Aggregation Induced Emission; AIE)と呼ばれています。

AIE が発現する系では、分子が凝集するというシンプルな現象のもとで非断熱遷移が制御されて、その発光効率が高まると考えられているのですが、メカニズムの詳細は明らかではありません。

その要因として、光化学過程がピコ秒程度の極めて短い時間尺度で進行するために、実験的手法のみで捉えることが困難なことが挙げられます。

また、理論的手法を用いる場合でも、多数の分子が凝集する大規模複雑系における非断熱遷移を扱う必要があるために、計算コストが莫大となってしまうことが課題となります。

そこでこの研究では、大規模複雑系における非断熱遷移ダイナミクスを効率的に捉えるための分子シミュレーション手法を開発し、非断熱遷移の制御という観点からAIEメカニズムの本質を明らかにすることで、AIE を発現する分子を合理的に設計・開発するための基礎を確立したいと思っています。

凝集状態で消光する「濃度消光」が有機発光材料を開発する上での課題でした

有機発光材料は、エレクトロルミネッセンス、色素増感型太陽電池、光記録媒体、バイオイメージング、医療診断用蛍光プローブなど、次世代のエレクトロニクス技術を担う重要な物質です。

エレクトロルミネッセンス材料は、その発光を高輝度化することでエネルギーの消費量を軽減できることから、高い蛍光量子収率を示す発光材料の新規創製が必要不可欠となります。

しかし蛍光分子の多くは、希薄溶液に分散した状態では強い発光を示しながら、デバイスとして用いるための高濃度溶液や固体などの凝集状態になると、部分的にあるいは完全に消光してしまいます。

この現象は濃度消光と呼ばれていて、周囲の分子との相互作用による無輻射緩和過程を経て光励起エネルギーを失活することが原因です。

濃度消光は、実際に素子として用いるフィルム基盤や固体薄膜中などで蛍光量子収率の著しい低下を招く原因となり、発光材料の開発における大きな障害となっていました。

凝集状態で強く発光する「凝集誘起発光(AIE)」色素が発見されました

2001 年に香港科技大学の Ben Zhong Tang 教授は、凝集誘起発光(Aggregation Induced Emission; AIE)現象を示す色素を発見しました。

たとえば、Tang 教授が合成したテトラフェニルエチレン(tetra-phenyl ethylene; TPE)は、AIE を示す代表的な蛍光色素(AIE luminogen; AIE-gen)です。

AIE を示す蛍光色素は、濃度消光とは逆の発光挙動を示し、希薄溶液に分散している状態では無蛍光ですが、固体などの凝集した状態になると強い蛍光を発するようになります。

このために AIE 色素は、従来の発光材料における濃度消光の問題を克服する新しい有機発光材料として注目を集めています。

たとえば、AIE 色素をフィルム基盤や薄膜中に固定化したものは、高い蛍光量子収率をもつ有機 EL 素子・優れた光エネルギー変換効率をもつ色素増感型有機太陽電池の実用化など、有機エレクトロニクス技術の未踏分野を開拓できる有機発光材料・高次光機能性材料として期待されます。

さらに、医療分野においても、タンパク質などを AIE 色素で標識することで、凝集過程や環境応答を蛍光顕微鏡などで容易に観察することが可能となります。

たとえば、AIE を応用してタンパク質の凝集体を高感度に検出する技術を開発できれば、アルツハイマー病やパーキンソン病など、タンパク質の異常凝集が原因となる病気の早期診断法・治療法の確立にも貢献できると期待されます。

「凝集状態でなぜ強く発光するのか?」という詳細は明らかになっていませんでした

一方で、従来のAIE色素は、偶然に発見された分子を骨格とする誘導体がほとんどです。この要因として、AIE のメカニズムには未だ不明な点が多く、AIE 色素を合理的に設計するための理論的な基礎が確立していないことが問題として挙げられます。

一般に分子では、光を吸収して基底状態から励起状態に遷移した後、光の輻射を伴って基底状態に戻る蛍光発光と光の輻射を伴わずに基底状態に戻る非断熱遷移が競合します。

AIEを示す分子では、単体では非断熱遷移が優先的に起こることで発光しないが、分子同士が凝集した状態では非断熱遷移が抑制されることで蛍光発光が優先的となることが推測されていました。

しかし、このような光化学過程の運命が決まる時間尺度はピコ秒程度と極めて短いために、実験的な手法のみで AIE のメカニズムを解明することは困難です。

また、分子シミュレーションなどの理論的手法を用いる場合でも、多数の分子が凝集する大規模複雑系における非断熱遷移のダイナミクスを扱う必要があるために、計算コストが莫大となってしまうことが課題でした。

研究の焦点となる「問い」

AIE を発現する系では、分子が多数凝集するというシンプルな現象のもとで、非断熱遷移が効率的に抑制されて、その発光効率が顕著に向上します。多数の分子同士が凝集するような大規模複雑系において、非断熱遷移が巧みに制御されるメカニズムとは何なのでしょうか?

研究の目標

この研究では、大規模複雑系における非断熱遷移ダイナミクスを効率的に解析するための分子シミュレーション手法を開発して、非断熱遷移の制御という観点から AIE メカニズムの本質を明らかにすることを目指しています。

本研究を遂行することで、AIE を発現する分子を合理的に設計・最適化するための新たな指導原理を確立できることが期待されます。

研究のポイント

この研究について、凝集状態における非断熱遷移ダイナミクスの制御という観点から AIE の本質に迫る点は独自であり、先行研究に類を見ないのではと思っています。

さらに、非断熱遷移は光化学現象の多くで重要な役割を果たしているのですが、多数の自由度が関与する大規模複雑な系でのふるまいには不明な点が多くあります。

分子が凝集するというシンプルな現象のもとで非断熱遷移が制御されるAIEの機序を明らかにし、その本質を捉えることで、「大規模複雑系の非断熱遷移制御」に基づく「高次光機能性分子の新領域」を創造することに繋げたいと思っています。

関連する研究の動向

AIE は、最初の例が報告された 2001 年以降、関連する成果が国内外で多数報告されています。Web of Science では、AIE に関する学術論文として、現時点で 8,000 件以上が確認できます。その数は年々増加していて、2017 年以降は毎年 1,000 件以上の学術論文が発表されていて、国内外で注目を集めていることが分かります。

一方で、その多くは既存の AIE 骨格を改良した分子の有機合成など、応用研究が主であり、AIE のメカニズムに関する基礎研究は少ない状況です。

理論的な研究としては、多くが孤立状態における AIE 分子の電子状態解析までに止まっているように思います。いくつかの研究では非断熱遷移の分子シミュレーションもおこなわれているのですが、これも孤立状態の分子系のみに止まっています。

しかし、AIEという名称が示すように、そのメカニズムの本質はもちろん、「凝集状態」において誘起される発光過程にあります。

ヤマラボでこれまでに取り組んできたこと

ヤマラボではこれまで、代表的な AIE 分子であるシアノスチルベン誘導体 CN-MBE とジフェニルジベンゾフルベン DPDBF の解析に取り組んできました。

AIE では、ポテンシャルエネルギー面が交差する円錐交差の近傍で起こる非断熱遷移が重要な役割を果たします。そこで、光励起後から円錐交差に至る緩和過程について、スピン反転時間依存密度汎関数法(SF-TD-DFT法)反応経路最適化法(string法)を用いて最小エネルギー経路を特定し、QM/MM自由エネルギー摂動法を用いて自由エネルギープロファイルを解析しました。

その結果、AIE を発現する状態における非断熱遷移の静的描像を理論的に明らかにすることに成功しています。

関連する研究成果

ヤマラボで現在取り組んでいること

これまでの解析から、非断熱遷移は円錐交差近傍のみではなく、空間的に幅広い範囲で起こり得ることが予想されます。

また、光励起によって分子が十分な余剰エネルギーを獲得することも分かり、実際の緩和過程は最小エネルギー経路付近を必ずしも通らずに進行することも推測されます。

非断熱遷移の正しい分子描像は、時間に依存する動的な過程であり、AIE の本質を追求するためには、その動力学(ダイナミクス)を明らかにする必要があります。

このことから、現在、AIE における非断熱遷移ダイナミクスの本質を捉えるということを目指して、研究に取り組んでいます。

具体的には、大規模複雑系の非断熱遷移を効率的に解析するための理論手法の開発をおこない、この新しい理論手法を用いて非断熱遷移ダイナミクスの制御という観点から AIE のメカニズムを明らかにするということを目指しています。

このような研究を通して、AIE 効率を高める分子設計として、「分子凝集体の秩序状態を制御」することで「励起後の緩和過程を制御」する可能性を見いだすことができるのではと考えています。

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